ト部蛸焼のブログ

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左可逆・右可逆,そして両側可逆

最近,関数解析の勉強をしているのですが,今回の記事ではその過程で理解に躓いた「可逆性」について整理しました.読んでいた本では「Banach 環の元を考えるとき,左可逆かつ右可逆なら両側可逆である」ということを使っていたのですが,Banach 環であることは本質的ではなかったので,以下では少し一般的な状況を考えてこのことについて書いていきます.証明も含め,そこまで難しい内容ではないように思います.

用語の整理―左可逆・右可逆・両側可逆

 (M, \;\cdot\;) をモノイド,すなわち,

  •  ^{\forall} x, y, z \in M,\;x \cdot (y \cdot z) = (x \cdot y) \cdot z  (結合律)
  •  ^{\exists} 1 \in M,\; ^{\forall} x \in M,\; 1 \cdot x = x \cdot 1 = x  (単位元の存在)

を満たす代数系とします.

俗な言い方でさらに換言すれば,  (M, \;\cdot\;) は群のような性質をもつが,逆元が存在しなくても構わない,という代数系とします.

このとき,  x \in M が,
\begin{align*}
^{\exists} \alpha \in M,\; \alpha \cdot x = 1
\end{align*}を満たすとき,  x左可逆であるといい,  \alpha x の左逆元といいます.

また,  x \in M が,
\begin{align*}
^{\exists} \beta \in M,\; x \cdot \beta = 1
\end{align*}を満たすとき,  x右可逆であるといい,  \beta x の右逆元といいます.

そして,  x \in M が,
\begin{align*}
^{\exists} \gamma \in M,\; \gamma \cdot x = x \cdot \gamma = 1
\end{align*}を満たすとき,  x両側可逆である,あるいは単に可逆であるといい,  \gamma x の両側逆元,あるいは単に逆元といいます.

これらの「片側」の可逆性と,「両側」の可逆性について,以下の主張が成り立ちます.

命題 x \in M が左可逆かつ右可逆のとき,左逆元と右逆元は一致する.したがって,  x は両側可逆であり,その左逆元(右逆元)は両側逆元である.

簡潔に言えば,左可逆かつ右可逆なら両側可逆であり,しかも左逆元  = 右逆元  = 両側逆元であるということになります*1

主張の証明

 x \in M の左逆元を  \alpha,右逆元を  \beta とすると,
\begin{align*}
\alpha \cdot x = 1,\qquad x \cdot \beta = 1.
\end{align*}これより,

であるから,左逆元と右逆元は等しい.また,
\begin{align*}
\alpha \cdot x = 1 = x \cdot \alpha.
\end{align*}これは  x が両側可逆であり,さらに  \alpha x の両側逆元であることを意味する.

証明終

例1.
実数全体の集合  \mathbb{R} は可換環*2,すなわち,どの元  a, x \in \mathbb{R} でも  ax = xa が成り立ちます.そのため,特に  ax = 1 ならば  xa = 1 であり,左逆元と右逆元は一致します.そのため,「左」,「右」,「両側」という区別をせず,単に「逆元」,ひいては「逆数」と呼ぶのが普通です*3

例2.
 \mathrm{Mat}(\mathbb{R}; n, n) n 次正方行列全体の集合とすると,これは非可換環です.ついでに  n \times n の単位行列を  I_{n} とおいておきます.この場合は,  A, X \in \mathrm{Mat}(\mathbb{R}; n, n) AX = I_{n} を満たすならば  XA = I_{n} を満たすことが知られています.そのため  \mathrm{Mat}(\mathbb{R}; n, n) は可換環ではありませんが,左逆元と右逆元が一致します.この場合でも,特に区別をせず単に「逆元」,ひいては「逆行列」と呼ぶのが普通です.

例3.
 X を集合とし,  \mathrm{Map}(X, X) X から  X への写像全体の集合とします.  \mathrm{Map}(X, X) 上の積を写像の合成によって定めます*4.ここで,一般に,写像  f \colon X \longrightarrow Y の可逆性について以下が成り立ちます*5

 f が左可逆  \iff  f は単射,
 f が右可逆  \iff  f は全射.

単射であっても全射でない写像や,逆に全射であっても単射でない写像はいくらでも存在するので,左可逆であることと右可逆であることは等価ではなく,「片側」の可逆性を考えることが無意味ではないと分かります.

*1:群はモノイドであり,群の逆元は左逆元でも右逆元でもあります.そのため,この命題を群に適用することで,群の逆元の一意性を示すことができます.また,このことから,この命題の証明は群の逆元の一意性と全く同じ方法で可能であることが推察されます.

*2:厳密には通常の加法と乗法を考えた上で「環」であると言いますが,割愛しています.以下でも同様です.さらに言えば体です.ここでは「可換」であることを強調したかったため,あえて「可換環」という言葉を使いました.

*3:一般に,可換なモノイドでは左逆元と右逆元は一致します.実数の場合と同様にこの場合も,これらは単に「逆元」とだけ呼ぶのが普通です.

*4:写像の可逆性を考えるだけであれば始域と終域が一致している必要はありませんが,本記事の冒頭に書いた代数系としての側面を考えたとき,単純に  \mathrm{Map}(X, Y) のようにするとうまくいきませんので,ここでは始域と終域が一致する場合を考えています.

*5:後者については選択公理を認めた上で成り立ちます.